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安芸高田市の前方後円墳の講演会に行ってきました。
わあ、楽しかったです♪
甲立古墳の講演会。。
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そもそも、甲立古墳をご存知ですか?
ものすごく、全国的に素晴らしい古墳なんです!!

なぜ?
それはですね、、長くなりますよ~♪みなさん、お時間大丈夫ですか?

甲立古墳がある場所は、山の中。。
隣には、真言宗のお寺があり、そのおかげで、
お墓が古墳の横にあって、かなり、おどろおどろしい(^^:)
陰気な雰囲気の場所で、、、(^^::::)
一人ではとてもないですが、入れません!とっても怖いです。

そのおかげで、、、(かどうか知りませんが、^^)
完璧に近い状態で、残っているのです、、
つまり♪未盗掘♪♪ 素晴らしい!!
さあ、
古墳時代のミステリーのはじまり、はじまり~~♪

(ふふっ。素人のわたしが書いていいのでしょうか、、
かなり個人的な感想も入ってますので、あしからず、、)

はじめに、甲立古墳の状況説明がありました。
出土状況、、などなど、、
安芸高田市の前方後円墳の講演会に行ってきました。_e0135073_23351411.jpg

ここから、説明するとかなり長くなるので、ココはスルー♪
しかし、肝心の棺はまだ、古墳に眠っています。。
なぜなら、国の許可がおりていないから、、♪
あ~~~、早く、、、!
どんなお宝が眠っているのでしょう、、
埋葬品のかたち、素材、、または、石棺の形状、、
埴輪類の種類、かたち、置いてあった場所、、
方位や数、
または、一緒に葬られたかもしれない人がいたかも・・・きゃ~(><)

・・・・・・また、暴走しかけました、、元にもどります、、

甲立古墳(全長77m)は4世紀の後半、
私たちになじみのある三ツ城古墳(全長92m)は5世紀のもの、、
大きさでは、三ツ城古墳より小さいですが、古いのです!
しかも、未盗掘!(しつこい。。笑)
わくわくしますね、、♪

実は甲立古墳が発見され、
まだ発掘許可がおりていないとき・・。
息子が5年生のときに、甲立古墳をたずねました。
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↑そのときの写真、、(みんな若い^^)
まだ、道案内などなく、間違って、隣の真言宗のお寺に入りこんでしまい、
住職さんに聞いたら、親切にも案内してくださいました。
(というより、こちらの住職さんは、妹の同級生♪)

その時は、古墳の上にも、沢山、木がにょっきにょっき生えていて、、
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わかりますか?ちょっとだけカーブを描いているのが、、
ここは、後円の部分。

これが、今日撮った写真♪
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にょっきと生えた部分だけ、わかりやすくカットされています。。

前方の部分も、、
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↑こちらは、まだ、発掘していないので、古墳の上に木が生えています。
というより、、杉の植林???
なぜ、植林するときにわからなかったのでしょう。
古墳だと気づかずに、杉の植林をしてしまった人がいると思うとおかしいですね(笑)
かなり、前方の部分は四角くなっています。

有名な仁徳陵古墳は、周りが濠になっています。それは、土を盛るために周りを掘ったから、、ということもあり、、

甲立古墳は、、
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ヘタな絵を描きましたが、こんなイメージ♪
山の稜を利用して、カット♪

土をどこかへ運び出した。
大変な作業ですね。

(これは、わが町、高美が丘の胡麻古墳も同じ構造になっているのではないかと
勝手に私は思っています。
だって、フジ跡地の住宅が盛り土でなく、切り土だと聞いたから、、♪)


甲立古墳は、本当に、誰も触れていないようで、
20センチ掘っただけで、葺き石がごろごろ出てきたようです。
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講演会の先生は、川から石を取っていない、かもしれない、と言われてましたが、
どうみても、角がまるい、、、丸い石が多いよ、、
川から運んできたのではないでしょうか、、どお?

甲立古墳の前には、大きな江の川(可愛川(えのかわ))が流れていますし。。

こんな大きな古墳を作った人、、というより、
作れた人がいたということは、かなりのお金持ち♪
人もたくさんいないと作れません、、。
この大きな川のおかげで、
田や畑が、潤い、多くの人が農耕に精を出し、
川を使って流通もあったことでしょう。
多分、(今と違って、、)随分栄えた集落だったに違いありません。

そんな集落の王のために、墓をつくる、、

それは、奴隷のように働かされたのではなく、
明らかに報酬のある公共事業だったに違いありません。

しかも、、ここからはわたしの推測ですが、
古墳の意義は、墓だけでなく、他にも使われていたのでは、、と思います。

卑弥呼が存在していたように、神と政治が密接だった時代、、。
神の御言葉が、政治を動かす、、たたりを治める、
一年の豊作を祈願する、、、

そういった神事を行う聖地、、
いわゆる今の神社的な場所でもあったのではないかと思うのです。

しかも、前方後円墳って日本独自のものなんですってね!
まさに、面白い、でも、納得!

私が思うには、このカタチが日本だけに出来上がったのも納得できるのです。
なぜなら、日本は神の国だから、、

むか~し、昔の日本人は、西洋でいうキリストのように、
人の形をした神ではなく、
目にみえないものや、自然を神として信仰してきました。
山だったり、大木であったり、岩であったり、滝であったり、、

山岳信仰、もそうですね、
山を神として、崇拝してきた時代があったのです。
今日の講演会は三輪山の話がでました、、
(もちろん箸墓古墳の話もね出たよ~♪)

そういった山には、巨石文明があります。私が何度も山に登り、目にした光景、、
山のてっぺんに大きな岩が不自然な配置で、ごろごろ、、
春分、秋分に日が差すように、方向付けされた岩や、
いけにえ用の岩、、
鏡岩、などなど、、
きっとここで祭祀をおこなっていたのでしょう。。

だんだん人は、農耕が忙しくなるに連れて、山へ上がれなくなり、、
もっと身近に祭祀が行える場所をつくりはじめようとします。
それが、神社仏閣のはじまり?ではないでしょうか、、
という説もあるように、
その神社的な存在が、古墳の形状だった、、という私の大胆な仮説!!
いかがでしょうか、、
なぜ、前方後円墳なのかが、ヒント♪
(と思うのですけど、、^^::)
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後円の部分が山のように盛り上がっているのが山岳信仰の山のミニチュア版?
みたいな感じでしょうか、、(^^)
じゃなければ、前方部分と高低差をつけて、山にする必要ないのかな?と思ったり、、。

祭祀を行い、助言を与え、それを民に伝える。
政治をする場所も兼ねていた。。
そんな場所であったのではないでしょうか、、
そして、その王が最終的にお墓として、神として、葬られる、、
ん~~~どお???

だって、ここからの景色、木がなかったら、めちゃくちゃいいよお~♪
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まるで、ここはお城のよう。。
甲立の町が一望できます。。
「お~今日も民が一生懸命働いておる、、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ笑」
って、腰に手をあてた王の笑い声が聞こえてきそうです、、(かなり妄想、、)


失礼しました。。
ちゃんとした学説を信じてください、、(笑)
古墳の本など読んでないので、すみません、勝手に書きました。


話は変わりますが、先ほど話にでてきた、真言宗のお寺、、
なかなか素敵ですよ、、

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↑十二支、三つ巴など書かれてました♪ 鳳凰、素敵♪

ぜひ、訪れてくださいね!
by derhase1gou | 2013-02-17 23:42 | 日常のできごと